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福島県と健康診断・環境調査を議論(5/11、福島県庁)
5月11日、福島県の県民健康調査課・放射線監視室に要請書を提出し、協議しました。
福島県とも話し合いは3年ぶり。福島県の出席者は県民健康調査課と放射線監視室から2人ずつ。私たちも4人で、飯舘村会議員の佐藤八郎さんと高橋和幸さんも参加し、村民の声を伝えました。
要請内容は、①福島県が、福島原発から今もCsが放出されている事を認め、避難指示解除を中止するよう国に要求すること。②土壌の放射能濃度の測定点を増やすこと。③成人を対象とする「健康診査」に甲状腺検査と心電図検査を上乗せすること。④「甲状腺検査」の対象を全県民に広げること。
【協議の要約】
★県の回答は、①は「私たちの部署の担当でないので、伝えておく。」
②では、私たちから、浪江町や飯舘村の空間線量が毎日周期的に大幅に変動している事実(浪江町昼曽根で線量率が1日に0.5μSv/hも変動)を示し「この原因は何か?」と見解を問うと、「わからない。検討する」との返答。またCs降下物の測定地点を減らしたことについて、
(放射線監視室)大気中の浮遊物調査地点は減らしていない。その数値が「ND」ばかりだという指摘があり、分析方法を変えて検出下限値を小さくした。
(署名実行委員会)それはいつからか?
(放射線監視室)今年の4月から。(まだ公表されていません。)
★飯館村議の方々は、飯舘村や県内の実態を説明。
(佐藤村議)甲状腺がんが会津竹田病院で3倍に、白内障は郡山病院で2倍に増えた。ロナルドレーガン兵士の健康被害を見れば、放射能の影響は現れている。除染で線量が下がることはない。私の自宅の中は雨どいで6μSv/h、室内は0.6μSv/h。部屋の中は除染してくれない。
(署名実行委員会)Csが今も漏れているという認識はあるか?
(放)ゼロではない。
(署)土壌・降下物・浮遊物調査を事故直後と同じ程度に実施して欲しい。二本松市や本宮市などホットスポットがある市の放射線は1地点で代表できない。
(放)今もモニタリングポストを増やして(!?)監視は強化している。十分な量だ。
(署)強化されているとは思えない。もっと危機感を持ってもらいたい。
(高橋村議)郡山では1μSv/h以上の所もある。把握しているか?((放)していない。)
モニタリングポスト撤去とか「0.23μSv/hを見直す」とか、東京五輪のために臭い物にフタの流れだ。県立医大のある医師は「甲状腺がんと放射線は・・・・」と問いかけると途中で遮って「ありません」と言い切る。そんな医師に任せておいて良いのか?
(署)次には線量グラフに対するコメントを求めます。
★③④について、県民健康調査課の回答は今までの見解と同じ。
(県民健康調査課)甲状腺検査は縮小するという議論もあったが、今のやり方を継続する。検査のあり方の議論はある。
(署)エコー検査は続けるのか?
(健康調査課)続ける。
(高橋)本宮市、郡山市などで慢性湿疹とか、甲状腺以外の病気が増えている。
(署)甲状腺検査の「中間とりまとめ」は、2巡目検査の分でもまとめるのか?
(健)その方向。ただし2巡目でするか3巡目検査まで待つのかは、わからない。
(署)それが問題だ、問題の先延ばしでしかない。
(佐藤)県民と健康調査の検討委員会が話す場はないのか?村民が東電に治療費を請求するための診断書を3万円かけて作ったが、東電は医療費の賠償を認めない。
協議内容で大きな変化はありませんでしたが、3年ぶりの協議の場を作ったことと、空間線量の日変動の問題で放射線監視室に「宿題」を持ちかえらせたことが少しの成果でした。また飯舘村議が2名参加して、県民の気持ちを代弁して伝えたことも良かったです。私たちも署名とアンケートで集めた県民の健康不安の声を伝えました。
この後、福島駅前で放射能健診署名&健康アンケートを取り組み、翌日も「ガマ人間あらわる」の福島市公演の宣伝と一緒に取り組みました。署名が2日間で190筆、アンケートが30枚。その中で健康被害や不安の声を聞きました。
・原発事故直後に子どもの尿からセシウムが出ていた。結婚させられるか心配。
・子どもが甲状腺検査で「経過観察」とされた。
他にも、事故後に「肝機能障害」に罹った若い人や、鼻血を経験した人、「事故の後1度、体の放射能を測ったけど、その後は何もしてない。内部被曝の検査がない」と話す人など、いろいろな方から意見・要求を聞きました。これも次の交渉に活かします。
韓国・月城原発の地元で反原発運動と交流しました(関西事務局秋野)
5月3日-6日、東アジアの平和のためのZENKO日韓連帯ツアーに参加して、朝鮮半島東部の月城原発を間近に見、その近くの都市・慶州で反原発運動の交流をしました。
密陽(ミリャン)ボラ村で超高圧送電塔の現地視察(5月4日)
韓国・密陽の高圧電線塔(5/4)
新古里原発からの送電塔を作る話が持ちあがり、2005年から13年間も住民は闘っている。765キロボルトは世界で最も高電圧で、高さも40階建のビルに相当する。その電圧は送電塔の10m以内に近づけば人が死ぬほど。
農家の76歳のイ・チウさんが抗議の焼身自殺をした。その時に履いていた白いゴム靴の焼けただれた跡が現場に残っている。
真っ直ぐに送電塔を引くと、15年前の密陽市長の親戚の家の近くを通るので、そこを迂回するように、この地域に送電塔が引かれる計画となった。「南北首脳会談のように韓日で手を携えれば原発はなくせる。」「人が生きていく上で最も重要なものは、安全。」密陽の闘いで765キロボルトの送電塔は今後作られなくなった。
慶州駅前からのデモに参加
蔚山と慶州の脱核(脱原発)運動をしている市民との日韓連帯。慶州は奈良や京都のように歴史ある街だが、全国の核廃棄物施設が59%も集中。
韓国の原発は現在24基あり、これが28基まで増える予定。東海岸に集中しているため事故が起きたら日本が被害にあう。そのため脱核には日韓の連帯が必要である。原発銀座から30km以内に130万人が居住している。慶州の課題として次の5つが提起された。
韓国の東南海岸には原発が集中
①老朽化した月城(ウォルソン)原発1号機の廃炉に続き、他の原発を廃炉に。
②地震の危険性。韓国政府は大きな地震は来ないと言うが、最近地震が多発している。
③核廃棄物処理の問題。月城原発3、4号機の予定地に核廃棄物処理場がつくられようとしている。
④中間貯蔵施設建設阻止。使用済核燃料の50%以上が慶州に保管されている。これ以上、中間貯蔵建設を建設しないように要求している。
⑤移住の問題。住民は、2014年8月から移住対策要求の座り込みをしている。移住対策法案が2016年11月に提出されたが成立はしていない。
月城原発の近くが最もトリチウムの値が高い。また住民の尿検査も原発に近い住民の方からトリチウムが検出されるなど被ばくは今も深刻な問題である。慶州では「脱核慶州市民連帯」という団体を結成し、毎週木曜の脱核デモや電力会社前での中間貯蔵施設建設反対の集会などを行っている。
月城原発の反原発テント村で、放射能被曝の原告と交流(5月5日)
月城(ウルソン)原発近くの「エナジーファーム」内に反原発のテントが設置されている。今日で1350日目。テント村の中で、月城原発近くの住民ファン・ブンヒさん(女性)とキム・ジンソンさん(男性)に話を聞く。
韓国・月城原発監視テントで交流(5/5)
ファンさんは3年ほどこのテントで活動している。電力会社は事故が起きれば被曝の可能性があると言うが、山も空気も食べ物も汚染され日常的に被ばくをしている。住民の尿からはトリチウムが検出。志賀の原発に近いほど高濃度。
ファンさんたち住民は原発が稼働する40年間被ばくし続けてきた。また土地を売って移住しようにも原発の近くの土地など買い手がつかない。事実上の収容所だ。政府や電力会社が原発のおかげで発展したのであれば、自分たちの土地を国が買い取り、移住させるよう要望している。
月城原発は周囲914mが制限区域となっているが、原発メーカーのカナダの基準が914mだからそう定めただけで、何の根拠もない。この地域で92人の甲状腺がんを発症した人が電力会社に訴訟を起こしている。また原発から10km以内に5年以上暮らして甲状腺がんの手術をした人に集団訴訟の募集をしたところ、全国で620人が立ち上がった。
日本の安倍政権は原発を推進している。韓国では同じく推進していた朴槿恵政権を市民が「ろうそく革命」で退陣させた。日韓が連帯して核のない社会を作ろう、と話された。
海岸に出ると600mの距離に月城原発が見える。制限区域であるにも関わらずキャンピングカーが海岸横の駐車場にずらりと並び、家族連れや浜辺で水遊びや釣りをしている人の姿が。立ち入り制限されないのは、原発と共存できるというイメージを作りたいため。しかしこの海の海女の1/3の12名は甲状腺がんの症状が出ている。済州島の海女が健康であるのと比べると、汚染水など放射能の影響は明らかだ。
韓国・月城原発 格納容器の真近までレジャー客が行く
【感想】韓国の食料の放射能規制は日本の基準に従っている。日本の基準が厳しくなれば韓国の基準も厳しくなる。日本ではあれだけの事故が起きたのに、その被害が正確に発信されていないのではないか、と問題提起された。積極的に日本から発信することで、まだ事故の起きていない韓国の原発をなくすことにつながる。韓国の原発は現在24基あり、これが28基まで増える予定で、東海岸に集中しているため事故が起きたら日本が被害にあう。だから脱核(脱原発)には日韓の連帯が必要だと痛切に感じた。(秋野)